
秋山 智哉
AKIYAMA TOMOYA
1993.12.25
山梨県出身 法政大学社会学部卒
3DCGクリエイター
20歳の頃から独学にて3DCG制作を開始。
2016年より都内映像会社で4年間勤めた後、個人事業主として3年間活動。
現在は3DCGクリエイターとしてARコンテンツの制作会社に勤務しながら、ATOM-BOXとしてサイドワークと自身の作品制作を進める。
受賞歴
- 2022 U30 3DCG VISION CONTEST グランプリ受賞
- 2021 第24回 文化庁メディア芸術祭プラットフォーム賞プラットフォーム部門ジオ・コスモスカテゴリー受賞
- 2015 プロジェクションマッピング国際コンペティション2015 新潟市特別賞
- 2014 法政大学第10回デジタルコンテンツ・コンテスト入選
- 2013 法政大学第9回デジタルコンテンツ・コンテスト優秀賞
自己紹介
はじめまして、秋山 智哉です。
簡単にはなりますが、来歴を紹介したいと思います。
① 映像を始めたきっかけ
映像を始めたのは20歳の頃で、細金拓也さんの「Vanishing Point」というモーショングラフィックスの作品を見たのがきっかけです。厳密に言えば、その後アニメの「四畳半神話大系」のエンディングを見た際に、同じく細金拓也さんが映像を手掛けていることが分かり、点が線となって繋がって、“こういう映像を作る人がいる”ということを知って真似し始めたのが最初です。
ツールは8割・CINEMA4D、2割・Blenderを使っていました。
初期の作品は今見ると、拙さと同時に真似したい欲のようなものが滲み出ています。
② 大学時代とプロジェクションマッピング
映像をはじめてから少し経った頃、東京駅のプロジェクションマッピングが話題になり、自分で挑戦をしました。
ちょうど大学の映像コンテストで受賞し、10万円をもらったので、そのお金で小型のプロジェクターを買いました。そうしてできたのが「Breaking the Fourth Wall」という作品です。
この作品をネットに上げていたら、それがきっかけで在学中にお仕事をいただくようになり、やがてこれが新潟でのプロジェクションマッピング作品に繋がりました。
このように初期はプロジェクションマッピングで映像との縁を結んでいきました。
③ インタラクティブとの出会いと新卒期
大学3年後半から4年(2015年頃)にかけて、この頃からライゾマティクスさんやチームラボさんといった名前を耳にするようになりました。インタラクティブという言葉と繋がり始めたのはこの頃です。
その頃に、中古で買ったKinectを使って遊び始めました。最初はProcessingでしたが、気づけばUnityに環境を移行していました。頂いた仕事でも数件ほどKinectを導入して演出をした事例がありました。
そういった流れで新卒で入った会社では主にUnityエンジニアとして手を動かしました。この期間はATOM-BOXとしての活動はほぼありませんでしたが、プログラミングの考え方がインプットされました。
ただ4年が経ったところで、さまざまな理由から身体に無理が来て職を離れました。
④ 個人事業主期間とコロナ禍
それから少しの間、休んで好きなようにパソコンを触ったり旅行をしました。
インドに旅行したらカレーが嫌いになりました。
それから2019年に個人事業主として活動を開始しました。ただ、開業届を出した一ヶ月後に新型コロナウイルスの流行が始まり、ほとんど仕事がなかったため、新しいツールを覚えたり、表現を試したりしていました。
また、この頃に再度3DCGに立ち返り、Blenderをメインツールとしながらも、これまでの蓄積で培ったツールや表現を拡張しました。そうして3DCGを主軸としながらも、多様な手法を試せるような思考の素地が2020年前後にできました。
そうしてコンペティションにも挑戦したところ、文化庁メディア芸術祭やU30 3DCG VISION CONTESTで良い結果を残すことができました。
⑤ 現在
ここで自分の生活スタイルを見直し、再度会社員として復帰。
全面リモートスタイルであるデザイニウムに所属しながら、ATOM-BOXとしても活動を行っています。